第72期感想

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第72期→http://tanpen.jp/72/


#1 迫りくる恐怖
夜道でうしろからだれかが追いかけてきて、どうにか振り払おうとするがとうとう追いつかれてしまう。緊張。しかし男は主人公が落とした電池を届けてくれた良い人だった。弛緩。と思わせてやっぱり! 緊張→弛緩→ババーン!というホラー(というかサスペンス?スリル?ジャンルはよくわからん)における王道の展開である。王道ではあるが、緊張パートがいやに間延びしており緊張が拡散してしまっている。間延びしているというのは、つまり、主人公足音に気付く→主人公早歩き→足音も早歩き→主人公走る→足音も走る、という部分が説明しすぎであることと、主人公の心の声(括弧で挿入されるやつ)がスピード感を殺してしまっているということである。『ポンッ』と手が肩に置かれる瞬間に向けて緊張感を高めて行くように描いた方がよかった。あるいは、いっそ足音が聞こえたなんて描写はやめて、ウォークマン電源入らないよ電池どっかで落としたかなーなんて思っているところに突然うしろから肩に手を置かれるというような展開にしてもよかった。また、弛緩パートは逆に短すぎてそれほど弛緩できていないので、こちらはもう少し長くした方がよかったとおれは思う。弛緩しすぎて男のことを好きになってしまうくらいにしたら面白かったかも。

つぎの瞬間、男の手にはナイフが握られている。鞄に手をいれてナイフを取り出して折りたたまれた刃を指先でパチンと小気味よい音を立てて開くまでの動作があまりにも滑らかでまるで手品みたい。わたしは見とれて、感動さえした。そしてさらに、手の中のナイフがとてもうつくしいのだ。柄から投げだされたするどい放物線が背を伝う冷徹な直線と交わる先端のとんがり具合といったら、たとえ何かを突いたとしても、静かに引き抜けば傷ひとつ残らずきれいに元通りになりそうなほどだった。そうだ、傷なんてつくはずがない。こんなにうつくしいナイフでは。
「笑ってるのか?」男が問う。
もちろんわたしは笑顔を浮かべている。恋する乙女のほがらかな微笑。
そしてわたしは両手で男のナイフを持つ手を包み込む。恋人がするように。
「なんだ、おまえ。きもちわるい」男の顔がゆがむ。
きもちわるいは違和感で、違和感とはあなたとわたしとの間に横たわる深い溝だ。溝なら埋めなくちゃ、とわたしは思う。
わたしは男に向かって一歩踏み出す。


何の話だっけ。


#2 ケセランパサラン
ケセランパサランのエピソードはきっとこの文章全体を象徴するような意図で挿入されたのだと思うが、それにしても、あまりに関係がなさそうに見えてしまう。「ケセランパサランが見えた気がしたが、あまりに気持ちよくて眠った」というような話なら、「ゆるいだめ人間」としての主人公をあらわす良いエピソードになったのではと思う。
一見何の関係もないような一文が文章全体を象徴するということでおれが思い出すのは、村上春樹の『ノルウェイの森』に出てくる『その小さな光はいつも僕の指のほんの少し先にあった』という一文で、これは村上作品ほぼすべてに共通する「手に入りそうで入らない」というせつないイメージを象徴する良い文だ。
それから、わざとかもしれないが、時制がおかしいので時系列というか語っている現在とエピソードとの時間関係で混乱してしまった。でもまあ、たとえわざとだとしても、わざとこんな風にする理由がさっぱりわからない、要するに読みづらいので、もうちょっと普通に書いてほしかった。


#3 ラブストーリーは突然に
自分で自分のことをそれなり以上には面白いと評価していて、面白いことは優れていることでつまらないことは罪だと思い込んでいる、宴会の場では自分がムードメーカーなので率先してでかい声で喋る、というような奴の話を一方的に聞かされた気分だ。まあ確かにまったく面白くないわけではないけど別にそんな、言うほど、とおれは思ってしまう。そんな自信満々に、と。
ここで主人公が言う「愛し始め」るというのは、さいしょ上から目線で相手していた女が「渾身のネタ」によって自分と(笑いの)レベルが対等になりうる存在であったことに気づくことである。たしかに愛ってそんなものだ。二人目の自分を見つけ出すことに他ならない。
あとは、ロナウド似の女の子よりもロナウジーニョ似の女の子の方がイメージしやすいと思った。だってたまにいるもん、ロナウジーニョ似の女の子って。


#4 鯖
大真面目すぎてなにも面白くない。へえ、そんな話、ありそうだね、としか思えないのだった。
「鯖の日の由来」という嘘話、という構成をおれは嫌いではない。ただ、その由来に何の起伏もないのがつまらない。たとえば、元漁師の男が出家した理由が『自らの意味を悟るために』であることや、寺で鯖を食べることになったきっかけが鯖を食べたかったから仲間に持ってこさせたからだということや、鯖を蒸した理由が『これしかなかった』からだとか、おもしろみというものがまったくない。もうすこし大げさにしたほうがいい。こだわったほうがいい。


#5 イフリート
人生を燃やすのが好きと言ってみたり、家全体が燃えた瞬間がエクスタシーで誰が死のうが死ぬまいが関係ないと言ってみたり、主人公の思想が統一できていない。主人公のキャラクターを作れていない。もうすこし主人公に愛情を注いでほしい。でなければ虚構の人物なんて作る意味はない。すくなくともおれにとっては。
もしかすると、その矛盾こそが主人公の歪みなのかもしれないが、他の文章の稚拙さを見るとおそらくそんなこと考えてはいないのだろうという気になる。
放火といえば黒き炎の神カンティード様っすを思い出す人はおれの他にもいるのだろうか。


#6 マルボロ
男の視点でこの物語を書いたら、主人公をツンデレにしてしまうだろう。「……でも結局は博のことを愛しているのだ」云々とつなげようとするだろう。そうならないところがこの物語の最大の見所だ。主人公の女は終始イライラしている。イライラしかしていない。この女は世界に対して過剰に期待しすぎているのだろう。おそらくそれは自身の過剰なプライドからくるものだろう。そのプライドをよりどころに女は世界の中心で主人公を演じ続けるだろう。
ダメな女だ。
過去の弱い自分(母に愛されていなかった(あるいは今も愛されていない)自分)を見せるところだって計算づくにちがいない。
博のことはよくわからない。とりあえずセックスはできるのでうらやましくはある。
馬鹿な女だ。セックスを許すなんて。二年も付き合うなんて。共通言語すらないのに。
ここで「だが、愛おしい女だ」と読者に言わせることができれば勝ちではないだろうか。
(ある種の女の子たちはこの主人公みたいな人間にあこがれ共感すらおぼえるのかもしれないが)


#7 万の灯りの中で
後半になるにつれ万の灯りが何も関係ない状況になってきてる。というか、万の灯りである必然性が皆無。近くの神社でも淳の部屋でも公園でも体育館の裏でもどこだっていいのに。旅雑誌のコラムじゃないんだから。

ふたり並んで歩いた。手を繋いで。
言葉を交わした。主に彩からの質問によって会話は成り立った。疑問形でなければ話が続かない気がして、彩は、手当たりしだいに質問をぶつけた。
「去年の淳は頭茶色かったよね」
既に答えを知っていることも聞いた。とにかく聞いた。それなのに本当に聞きたかったことは聞けなかった。どうしても聞きたい質問を、彩はいくつものくだらない質問で覆い隠そうとした。でも、この無限に立ち並ぶかのように思える灯りにもちゃんと限りがあるように、質問は残酷に底をついた。
彩は足を止めた。
淳はそれに気づいて、一歩先で足を止めて振り返る。
いつの間にか繋いだ手が離れていることを彩はうっすらと意識する。どちらから離したのかという疑問はあいまいに立ち消えた。
「来年の淳は」
無言。それは質問ではない、ただの切れ端だったから。
「知ってる。来年の淳は、もうここには来ない」
沈黙。それもまた、質問ではなかったから。答えを必要としていなかったから。
ほのかな灯りのなかで淳の姿が淡くゆらいだ、ような気が、彩には、した。そのままふっと消えてしまいそうな。
微笑んでいるような、哀しんでいるような表情で淳の唇が「さよなら」と言葉を紡いだとき、彩は、この万の灯りのなかのひとつほどでも淳のことを惹きつけたことがあっただろうかと考え、(きっと、あったはずだわ。私のなかの灯りが淳を惹きつけたことが。でも今はもう)自分には淳を引き留めておくことができないことを確信した。それでも、彩のなかの灯りはしたたかであたたかく、いつまでも消えずに輝いている。
「先に帰っていいよ、淳。私は……私は、ここから離れられないから」
淳は、もうさよならとは言わずに、ただありがとうと呟いて、灯りのむこうに、夜の影となって消えていった。
私は、この灯りの中でしか生きられないから。今は。そう今は。
夜風がいくつもの灯りをゆらしていた。


こういう文章はとても苦手なので無理矢理感がつよいけれど、なんとなく言いたいことは伝わってくれるといいなと思う。


#8 私の無くした名前と愛のしるし
名前が愛のしるしだというなら、恵美里という名だって、祖父からの愛のしるしだろう。作者は何が言いたかったのか。愛されるべき人から愛されたいということだろうか。名前と愛の関係について何か言いたいことがあったなら、祖父からの性的虐待なんて扱いづらい話題はやめて、もっとそれ自体について述べるようなエピソードにするべきだ。恋人たちが愛の証に互いに名前をつけあうとか。(高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』にそんなことが書いてあった)


#9 丘
敬われるべき存在でありながら忌み嫌われる存在でもある『聖者』というのは、健常者(つまり丘の外の住人)から見た障害者と同じ存在である。それから、丘の住人たちから見た丘の存在というのもまた、畏れと恐れを同時に抱かせる存在である。そのようなメタファーが幾重にも折り重なってできたのがこの小説なのである(タイトルは『丘』だ。まさに)。
文字数の大半を投じて以上のような世界観を描いている。逆に言えば世界観しか描いていないとも言える。ただ、最後二行でようやく描かれる主人公の行動が、重層世界の住人でありながらそれらの確執から解放されている主人公のキャラクターをとても象徴的に描けていて、このたった二行のためだけに背景を塗り重ねるという手法もあながち間違いではないようにおれには思われるのだ。


#10 生身のアンドロイド
アンドロイドを人間化することに成功した博士が今度は自らをアンドロイド化した、と書けばこの文章のほとんどをカバーできる。つまりプロットに甘んじるなということだ。記憶云々の話を広げるなりなんなりすればいいと思う。


#11 An un-hungry beggar
この数式のようなものが何なのかさっぱりわからなかったので残念だ。わからなくても楽しめるという種類の文章ではなく、わかったほうがはるかに面白いように思われるので残念だった。


#12 擬装☆少女 千字一時物語36
おれは『奴』という人称がとても嫌いだ。○○な奴、という使い方でなく、「彼は/彼女は」の代わりに「奴は」と書くような使い方が嫌いだ。『奴』というのは、ほんとうは親しいのにわざと突き放しているように見せかけるような、使っている人間と使われている人間のあいだでしか通じない親しさを象徴する人称だとおれは認識しているが、そのような内輪の親しさというは外部の人間から見てみればただうざいだけである。とおれは思う。あくまでおれ個人の意見。
それで何度も何度も言うが、やはり女装することに何の必然性も無いのだった。女装した男が○○する話、なのに、その○○についてはほとんど面白いことは書かれておらず(キャラクターの使い捨てでしかない)、最も力を込められているのは女装自体の描写なのだ。いい加減じぶんが何を書くべきなのかきづいたらいいのにと思う。


#13 「君にソウダ水を捧げたい」
作者のキャラクターに対する愛情がすさまじすぎて、ついに現実の人物と肩を並べるほどになってしまった。これはとても素晴らしいことだと思う。キャラクターが生きているってことだ。使い捨てでない登場人物でなければ表現できない空気感がある。


#14 愛
『青年は銀鉄鈍色のちいさなアルミ棒をいっさいのひかりない密室の実験室めいた魔法瓶の中の金属の床底にもしもおとしたのならしたかもしれない音がきこえたようにかんじた』とか『怨念をすてさり未来への色欲をめっしてただひとつなぎのみちしるべじみた母親の愛をおもいかえしながらいきおよぐことになやみあぐしはてて阿頼耶識なるみをささげているというのにさながら臓物の腐敗の進行はとどまらない』とかいった文章は、わざと遠まわしに崩して書いていて初見では一瞬なにを言ってるのかわかりづらいが注意深く読むと単純なことを言っているようで、そこを読み取るのがおもしろい。人間の感情なんてすっと整理されているわけではなくてもやもやしているはずなのに、そのもやもやを敢えてきちんと整理して描くことの居心地の悪さというか、違和感、そうか違和感かな。それがひらがな多用で増幅されている。いびつなのだ。かと思わせて、ここぞというところでは平坦な文章でズバーンと描いてみせるバランス感覚がまたにくらしい。そして、それらを(おそらく)計算づくでしてみせているところも。


#15 外は大降りの雨だった
雰囲気はあるのだけれど、どうにも登場人物の立ち位置がよくわからず、雰囲気のみしか読みとることができなかった。なにかもっと言いたいことはありそうなので、言いたいことをはっきり言ってみせてもいいと思う。


#16 隣人からのメッセージ
隣が空き部屋であるかぎりもうひとりのぼくは助けを求め続けることになるので誰かが住み始めてくれてもうひとりのぼくを殺してくれてありがとうということなのか。そんな。ありがとうの意味がよくわからないな。そしてこのありがとうの意味がわからないので、この物語がいったい何について書かれたものなのかがわからないのだ。自分の苦しみに気づいたというのはわかったが、気づいてそれでお終いなのか。
爪の間に壁の破片が詰まるような壁の叩き方ってどんなだ。ひっかいたのか。それはコンコンと音が鳴るのか。


#17 ローマ
おれは『睡眠薬ジャスミンを入れ過ぎた、まるでくだらない冗談のようなアフタヌーンティーを飲みながら』みたいな作品をもういちど読めることを待ち望んでいるのかもしれないなあ。つまり、わかりやすいストーリーを。